石州和紙のはじまり
寛政十年(1798年)に刊行された国東治兵衛の「紙漉重宝記」には、
石見国の紙漉きの元祖は、柿本人麻呂(七世紀末~八世紀初めの人)
と書かれています。
人麻呂は「万葉集」の歌人として有名であり歌聖といわれていますが、
晩年、石見国の官人になり石見国で亡くなりました。
和紙を漉(す)く原料
どんな植物の繊維でも和紙を漉くことができます。
しかし良質な和紙を漉くことができる植物繊維は少ししかありません。
わが国で昔から和紙を漉く原料として用いたのは、楮(こうぞ)・
三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)の繊維です。そして、この繊維で
漉いた和紙は良質です。
楮はくわ科の落葉灌木で、高さ6メートルぐらいになりますが、栽培
しているものは毎年根本から切り取るため、1.5~2メートルぐらに
しかなりません。
楮の皮の繊維は最も長くて強く、そのうえ絡み合う性質が強いので、
とても丈夫です。
そのため、、奈良時代から現在まで最も多く漉かれ続いています。
"横破り”の語源
和紙を漉くとき桁を前後に揺り動かします。多少左右に揺り動かす時も
ありますが、大体において前後に揺り動かすため、和紙の原料である
木の皮の繊維は大部分が前後に並ぶことになります。
もちろん縦にも横にも斜めにも絡み合いますが、前後(縦)に並ぶのが多くて
左右(横)に並ぶのは少ないのです。
(長方形の桁は短辺を縦とし長辺を横としています。)
そのため、和紙を縦に破ることはできますが横に破ることはできないのです。
このことにより、「横破り」は”できないことを無理にしようとすること”という意味で
使われるようになりました。
現在一般に使われている紙は、繊維が非常に短いものが多いため、たいていの
紙は縦にも横にも斜めにでも破れます。
紙の強弱は見た目だけではよく分からない場合があります。しかし破ってみると
すぐに分かります。
和紙の丈夫さ 1
我が国で最も古い和紙は、聖徳太子筆の「法華義琉」の料紙です。
西暦614年~615年ごろに書かれたものです。
多少傷んでいますが元の姿をそのまま残しています。
また、奈良時代や平安時代の初めの巻子本の料紙で損傷のない
ものはたくさんあります。
和紙は弱いようですが丈夫であり、綾や絹は丈夫なようですが、和紙に
比べると耐久力は劣り寿命は短いといわなければなりません。
千年前の和紙は今でも紙として使えますが、千年前の綾や絹は今日書写
の材料として用いることはできません。
和紙の丈夫さ 2
紙子は和紙の衣服です。軽くて暖かくて丈夫です。
和紙で衣服を作り、それを着ることができたということは、和紙が非常に
丈夫であることを証明しています。
現在ではハンドバック・財布・手提袋なども作られています。
また、閉じたり開いたりする扇にも最適です。
雨が降る日にさす唐傘は、竹の骨に和紙を貼り、油を引いて水を吸収
しないようにしていますので、強く降る雨にも破れることがありません。
和紙の贈り物
室町時代には、和紙の贈答が盛んに行われました。平安時代・鎌倉時代
にも行われましたが、室町時代は非常に盛んでした。
現在の中元・歳暮の贈り物に類する、八朔のたのしみの贈物には、和紙
が最も多く用いられました。
また、人を訪問する際の手みやげも和紙でした。
清少納言は、和紙は必要なものでありなくてはならないものと、特別に
大切にしていました。
「枕の草子」の「うれしきもの」の段に、和紙を得た喜びが切々と書かれて
います。
それほど当時の人たちにとって、和紙は貴重な品物だったのでしょう。
紙子
「紙子」は和紙で作った衣服で、「かみころも」が省略されたものです。
紙子を作るには、楮紙の厚紙を用います。丈夫な和紙を一層丈夫にするため
和紙に柿渋を塗り、それを乾かして揉んでやわらかくします。それから、露に
さらして柿渋の臭気を消し、それで衣服を仕立てるのです。
無地の白紙子や小紋を染めだした紙子などがあり、紙子の襟・肩・袖などには、
織物をつけたのがあります。
参考文献 和紙百話 春名好重著